茶のおいしいとき
Tea Friend Company あおき
思い出より
浜っ子5代目、戦前生まれの人は言いました。小学生の時よく遊びに行った横浜の大商人のお屋敷で頂いた紅茶の香りが忘れられないと。 この人は第二次大戦末期の金属供出で主がいなくなった伊勢山の銅像台座に登り、大人に「そこは偉い人の場所」と怒られていたそうです。 台座の主は戦争前の小学校の教材で「横浜の恩人」と記された方でした。茶業中央会の長を永年務めるとともに各方面で活躍され、九十歳まで生きられました。 元号で言えば弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶應、明治、大正、昭和と10の時代を経験されましたが 今はその台座すら無く、思い出は横浜からはほとんど消えています。浜っ子5代目はご存じなかったのですが紅茶をごちそうになった横浜の大商人はこの方の姻戚でした。さて紅茶の話で自分の幼少の頃を思い出しました。 外洋貨物船の船医だった祖父が持ち帰ったセイロン紅茶の水色は赤みがかかり透き通っていました。 薔薇に似た香りは薇の部屋中に漂っていました。茶缶の色は浅緑色、 紅茶輸入自由化前なので日本には入っていなかった物だと思います。 どのような味だったかの記憶はありません。お茶の味がわかるようになったのは成人となりしばらくたってからでした。 タンニンの渋味に慣れ親しむためにはある程度の時間が必要だったのでしょう。その点ではお茶は葡萄酒と共通だと思います。 時折指摘されますがお茶と葡萄酒の共通点は品種、土壌、気象が大きく品質に関与することです。特に品種による影響は大きいと感じます。 葡萄酒に親しんでいたときはピノノワールないしはサンジョベーゼで造った赤葡萄酒が好きでした。 前者はフランスのブルゴーニュ、後者はイタリアのトスカーナの品種です。 今はお茶に代わりましたが、毎日飲むお茶は台湾の高山烏龍茶で品種は青心烏龍です。茶園は八卦茶園と決まっています。 このようなお茶は英国紅茶専門家の表現では「シングルエステ―トのお茶」になります。 シングルエステートのお茶を飲んでいると気候により毎年味が異なることがわかります。 変化あるお茶に接しているとできるだけおいしく頂きたいという本能が働き茶器の選択や茶葉の量の調整を自然に行うようになります。 いくら環境を整えても体調不良ないし食生活が乱れているときはお茶の香りと味がいつもと異なる事にも気がつきます。 その時は反省して生活を正してお茶が再びおいしく感じるのを待ちます。精神が昂ぶっているときのお茶は鎮静効果をもたらしますが、真にお茶をおいしく味わっているとは思えません。 単純な事ですが、自分自身のお茶を見つけ、それを良い状態で味わうための条件を整え、心身ともに健康であることがお茶をおいしく感じるときでしょう。 そして自然にお茶をいつも美味しく味わえるような生活を志向することになるようです。 お茶を美味しく飲むための基本は唐時代に陸羽が書いた「茶経」が今でも参考になります。 茶経六之飲で茶の難(難しい点)として「造」「別」「器」「火」「水」「炙」「末」「煮」「飲」の9項目を挙げています。 唐時代のお茶で苦労があった「火」「水」はお湯の沸かし方と水の選択です。これらは多少の知識は必要ですが現代社会では解決積みと言えます。 「炙」「末」「煮」は唐時代の固形茶に対してであり今は気に掛ける必要はありません。 「造」「別」は信頼できる販売者からお茶を購入することにより解決できます。ただし多少の試行錯誤と出会いが必要とはなります。 残りの「器」「飲」については今日でも自分に合ったものを試行錯誤で探すべきと思います。 器大き目の急須を使うか、小さめの急須を使うか、吸水性のある陶器を使うか、それとも吸水性の無い磁器を使うか、自分のお茶に合った選択があります。 茶碗は大きさ、形状、材質、色に加えて厚みにも気を配る必要があります。 理由は茶碗の厚みにより舌のどの位置にお茶が当たるかが変わるからです。(舌の味蕾分布との関係となります。お茶会のお客様にお教えいただきました) 各自で顔の造作は異なるため人によって最適な厚みは違ってきます。「飲」では座客が5人の場合と7人の場合について述べています。 最適な人数は6人前後と間接的に述べているように思えますが簡単な記述で終わっています。 他の茶書にあたってみると清の時代に陸廷燦が編集した「続茶経」に「黄山谷集品茶一人得神二人得趣三人得味六七人是名施茶」とあります。 一人得神であれば独りで飲むお茶も寂しくはありません。こちらでもお茶の人数は6人前後が最適と言っているように見受けます。 茶経の「飲」では触れていませんがお茶を美味しくいただくためには人数以外にも場所、雰囲気、時間帯など適切な条件があります。 多くは万人に共通ですが、いくつかは各人で異なるものもあるかと思います。 明の時代に許次?が著した「茶疏」ではお茶を飲むのに適した24例と適さない8例を記述しています。 時代の違いはありますが現代でも参考になります。 たとえばお茶を飲むのに適した例のひとつ、清幽な寺観を訪ねた時(平凡社東洋文庫「中国の茶書」中村喬訳注より)は時を超えて普遍的なものでしょう。

Valid XHTML 1.0 Transitional